日本を発つ前から是非行きたい場所があった。
そこはカルロス・ガルデルが急逝した場所である。
不世出の タンゴ歌手として知られる アルゼンチンの歌手で、俳優でもあった。
国民的英雄カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890年12月11日 - 1935年6月24日)は、
人気の絶頂期の1935年、ニューヨークでの映画撮影を終え、
アルゼンチンへの帰途の際、南米諸国で映画宣伝を兼ねたコンサートを催しながら、
コロンビアでツアー最後のコンサートを終え、メデジン空港から
飛び立とうした際、風にあおられて他の飛行機と接触し炎上、焼死した。
1917年に初めて歌った「ミ・ノーチェ・トリステ」(わが悲しみの夜)によって
本格的なタンゴ歌唱を確立、「わが懐かしのブエノスアイレス」、「ボルベール」
「想いの届く日」などが代表作とされる。
ガルデルはフランスのトゥールーズに生まれ、幼少時にアルゼンチンに
移民したという説が一般的ではあるが、アルゼンチン出生説、ウルグアイの
タクアレンボー出生説などもあり、生い立ちについては良く判っていない。
ただ、ガルデルが私生児として生まれたという事は、どの出生説にも共通している。
その日は、めずらしく朝から強い雨が降り続いていた。
雨の中、空港職員の案内で事故現場に向かった。(真ん中に駐機している所)
現場に立った私達に、空港職員が当時の事故状況を親切に説明してくれた。
あの山の方に向かって離陸を開始した時に、強い横風に煽られ、
他の飛行機に接触し炎上したと!!
またミゲル・ソットが、私達が立っている炎上した現場で涙ながらに
踊ったことも聞かされた。
昨夜、私達がデモをやった曲はガルデルの代表作「想いの届く日」であったことも
何か因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
メデジン空港内にあるガルデルのモニュメント
空港広場には、ガルデルがギターを抱いて唄っている後方で、
タンゴを踊っている記念碑があり、
この前でコンサートやコロンビア・タンゴダンス選手権が毎年開催されている。
つづく、
1 件のコメント:
小林さん、態々メデジンまでガルデルの昇天した現場まで行かれたのは流石です。メデジンにガルデルのお墓が有るのですが、、、サン・ペドロです。ガルデルの本当の遺体はここにあるらしいですよ。何故かと言うと、彼の遺体はここからブエナベンツーラ港からパナマ運河をとうりニューヨークに戻りました。そこでも葬式が行われ、お参りしたガルデルの映画に共演した俳優の一人が遺体を見て、歯形の違いをしてきた記録が有ります。それにコロンビアでは当時も今も遺体を直ぐに墓から掘り起こせない教会の仕来りがあります。ガルデルの財産管理人デフィーノは遺言状を偽造して、ガルデルをフランス人に仕立てて財産を横取りした詐欺師です。ElBohemio:gotanbohemio@yahoo.co.jp
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