2008年2月29日金曜日

コロンビア訪問記(6)

ホテルに迎えに来たカルロスの生徒が運転する車で、
結婚式が行われる教会に向かった。
既に二人の親族や友人が、教会の前に多く集まっていた。
皆に挨拶が終わった頃、花嫁衣裳のエリアナが弟に伴われ車で到着。
カルロスは教会の中で待っていた。

昨日リハーサルを済ませていたが、立会人という重責に多少緊張していた。

ウエディングマーチのオルガン演奏が始まると、教会の奥で両親を伴なって待っていた
正装のカルロスが、赤い絨毯の上を途中まで迎えに来る。
エリアナは弟にエスコートされ、教会の入り口からカルロスの元に歩み寄る。
二人が出合うと、今度はカルロスがエリアナをエスコートして祭壇に向かい、
その後を私達が進み最前列の席に着く。




教会の結婚証明書に立会人としてサインをする。


車で20分位移動し、披露宴の会場に到着。
多くのタンゴダンサーが既に来ており、間もなく全員が揃い、バンド演奏の中、
新郎新婦の入場で感動の瞬間を迎えた。

エリアナの母親が両家を代表して挨拶をし、次いで二人は挨拶代わりにワルツを踊った。
幸せを絵に描いたような踊りであった。

宴もたけなわになってくると、やはりダンスが始まった。
コロンビアでは全員が踊る。
タンゴが踊れない人は、クンビアやサルサを踊る。
本当に全員が、何らかのダンスを踊って楽しんでいた。

夜8:00から始まったが、既に12;00を過ぎていた。
明日は朝6時にホテルを出発である。
7日間の滞在も遂に最後の夜を迎えてしまった。



日本を出発する時に、心配していた危険な目には一度も会わず、
毎日、快適に過ごせたのもカルロスとエリアナ、タンゴ関係者の
心配りがあったからこそと感謝している。
食事、果物は美味しく、何よりもコロンビア人の親切さが非常に嬉しかった。

滞在中に接した多くのコロンビアの方達に心から感謝の意を表して、
この章を終わりたいと思います。
どうも有難う御座いました。
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2008年2月22日金曜日

コロンビア訪問記(5)

日本を発つ前から是非行きたい場所があった。
そこはカルロス・ガルデルが急逝した場所である。



不世出の タンゴ歌手として知られる アルゼンチンの歌手で、俳優でもあった。
国民的英雄カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890年12月11日 - 1935年6月24日)は、
人気の絶頂期の1935年、ニューヨークでの映画撮影を終え、
アルゼンチンへの帰途の際、南米諸国で映画宣伝を兼ねたコンサートを催しながら、
コロンビアでツアー最後のコンサートを終え、メデジン空港から
飛び立とうした際、風にあおられて他の飛行機と接触し炎上、焼死した。

1917年に初めて歌った「ミ・ノーチェ・トリステ」(わが悲しみの夜)によって
本格的なタンゴ歌唱を確立、「わが懐かしのブエノスアイレス」、「ボルベール」
「想いの届く日」などが代表作とされる。

ガルデルはフランスのトゥールーズに生まれ、幼少時にアルゼンチンに
移民したという説が一般的ではあるが、アルゼンチン出生説、ウルグアイの
タクアレンボー出生説などもあり、生い立ちについては良く判っていない。
ただ、ガルデルが私生児として生まれたという事は、どの出生説にも共通している。




その日は、めずらしく朝から強い雨が降り続いていた。
雨の中、空港職員の案内で事故現場に向かった。(真ん中に駐機している所)
現場に立った私達に、空港職員が当時の事故状況を親切に説明してくれた。
あの山の方に向かって離陸を開始した時に、強い横風に煽られ、
他の飛行機に接触し炎上したと!!

またミゲル・ソットが、私達が立っている炎上した現場で涙ながらに
踊ったことも聞かされた。
昨夜、私達がデモをやった曲はガルデルの代表作「想いの届く日」であったことも
何か因縁めいたものを感じずにはいられなかった。


メデジン空港内にあるガルデルのモニュメント



空港広場には、ガルデルがギターを抱いて唄っている後方で、
タンゴを踊っている記念碑があり、
この前でコンサートやコロンビア・タンゴダンス選手権が毎年開催されている。


つづく、


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2008年2月20日水曜日

コロンビア訪問記(4)

今日は、カルロス&エリアナ主催のミロンガがメデジン・ダンサー協会で開催される。

昨夜のリハーサルで、筋肉痛に耐えながらも汗を一杯流したので目覚めは爽快であった。
夜の本番まで時間がたっぷりあるので、美術館に行きボテロの作品を見ることにした。



フェルナンド・ボテロ(1939年4月19日生)
画家、彫刻家として「最もコロンビア人らしい芸術家」と呼ばれており、
作品には静物画や風景画もあるが、肖像画を最も好み、
人間や動物をふくよかな体型に誇張した作品で世界的に注目されるようになった。

日本で見た時には、ボテロの美的思考は理解出来なかったが、
コロンビアに来てこちらの女性に会い、多くの作品に接して
その美意識が漸く理解出来たように思えた。


夜8時にミロンガ会場に向かった。
2階に上がる階段は人が溢れており、上からタンゴが聞こえて来た。
会場は、真ん中が踊るスペースで周囲をテーブル、椅子で囲むようになっており
200名位の人が来ていて、既に多くの人が踊っていて盛り上がりを見せていた。

音楽はタンゴ、クンビア、サルサ、ミロンガが20~30分間隔で流されていた。
クンビア、サルサも誘われ冷や汗をかくことしきりであった。



私達が踊る前に、コロンビアのプロダンサー10組のデモがあった。

第一回日本オープン・タンゴダンス選手権
サロンタンゴチャンピオン、カルロス&エリアナ
ステージタンゴチャンピオン、ダニエル&エディス

第二回、ステージタンゴ第三位、ハビエル&パトリシア

第三回、ステージタンゴチャンピオン、マルコス&ラウラ

上記の3組のチャンピオンは当然のこと、他のダンサーも技術的レベルは高く、
スピード感溢れる動きは見事であった。
特にハビエル&パトリシアの成長には驚かされた。
2年前とは別人のようであり、彼等の努力が垣間見えた。

最後に私達が踊った。
コロンビアのダンサーに刺激され、集中力が高まり気持ち良くのびやかに、
感情のこもったデモンストレーションとなった。
そして、久しぶりに充実感に満たされた。

また、この日は一緒に同行した則武惇子さん(カルロスの日本での生徒)が、
カルロスと特別出演しコム・イル・フォーを踊り、この日最大の大喝采を受けた。
私も感動と同時に嬉しさが沸きあがって来た。


つづく、
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2008年2月18日月曜日

コロンビア訪問記(3)

朝7時に起床。
快晴。ホテルのレストランで朝食をとる。

好みの材料を選んで、その場で作ってくれるオムレツが美味しかった。
他に、色々な豆と一緒に炊いたご飯、ヨーグルト、果物が食欲をそそった。

特にコーヒーは最高!!

コーヒー産業に携わる市町村は564(コロンビアの市町村の何と51%)。
コーヒー生産者所帯数は56万6000。
輸出農産物第一位で高品質を誇る。 

ホテルのロビーでは、コーヒーを無料でサービスしていたので、
薫り高い美味しいコーヒーがいつでも飲めた。



カルロスとエリアナの母親が運転する車2台で、名所ピエドラ・デル・ペニョールに向かった。
ホテルから約1時間半、山道を走りたどり着いた目の前に、突然、
湖に囲まれ突き出ている奇妙な形の山が現れた。
良く見ると山ではなく、それは岩であり、南米で2番目に大きい一枚岩だと聞かされた。


岩の麓は平らな高台になっており、四方に無数の湖が広がっており、
広大な景色は圧巻であった。

春の爽やかな気候と、頬に春風を受け、はるばる日本から来てここに立てたことの充実感に、
しばし浸っていた。

その後に苦しみが待っているとは、想像もしなかった。


あの奇岩の頂上まで登るよう勧められた。
翌日はリハーサルがあり、無理をしたら踊れなくなってしまうとの不安で悩んだが、
ここまで来たのだから、頂上の景色も体験したいとの気持ちが勝り、高さ200メートル、
649段の階段への挑戦を決意した。

息を切らしながら漸く登った頂上には、飲み物を販売している売店と
20人位休めるテーブルと椅子があった。
周囲には防護柵があり、そばに近づくだけで足が竦み、
離れなければ景色を見ることが出来なかった。

後で知ったのだが、カルロスは高所恐怖症の為、登らずに下でビールを飲んでいた!!

649段登ったということは、649段下るということである。
私にとっては登るより下る方が、膝に与えるダメージが大きかった。
下に降り立った時には、膝がガクガク震えていた。

翌日、足全体の筋肉痛に悩まされたのは言うまでもない。


つづく
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2008年2月15日金曜日

コロンビア訪問記(2)

空港からメデジン市内までは、坂とカーブが多い山道であった。
山裾には草花と花をつける木が多く、時々広がる視界には
目が眩む程の深い谷が飛び込んできた。
車窓から吹き込む爽やかな春の風と、流れるように過ぎていく
素晴らしい景色に、コロンビア滞在での一抹の不安は一気に消えていった。

市内に近づく程に、四方に広がる広大な山肌に家がビッシリと張り付くように
街を形成しているのがわかった。レンガ色一色の街並みは壮観であった。


















道路もようやく平らになり、市の中心部に入ると、そこには車の渋滞が待っていた。
排気ガスもかなり多く、先程の爽やかな空気はここには無かった。
午後は特に車が多いとのことで、毎日午後6:30~8:30は、車の番号の末尾で
曜日により運転を禁止していると聞いた。

渋滞が終わる地点は緑が多く、街並みも美しく変わる。そこに今日から宿泊する
ホテル・サン・フェルナンド・プラザがあった。
昨年の11月にオープンしたダン・カールトン系列の素晴らしいホテルであった。

















     ホテル・サン・フェルナンド・プラザ


 


     ホテルの部屋から見える景色
二日後にはカルロス&エリアナが主催するミロンガがあり、多くのコロンビアの
プロと私達のデモが予定されている。
それまでは観光と食事を楽しむと決め込む!!


続く
 
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2008年2月14日木曜日

コロンビア訪問記

2008年1月20日に成田からダラス経由でマイアミへ。
ここで一泊し21日にコロンビア・メデジン空港に到着する。

今回の旅行の目的は、ふたつ。
弊協会に講師として所属しているカルロス&エリアナ(コロンビア出身)の
結婚式に立会人として出席することと、
コロンビアのタンゴ関係者との交流であった。

空港にはカルロス&エリアナ、カルロスの父親が迎えに来ていた。
我々一行5名はカルロスと父親が運転手する2台の車に分乗し、
宿泊先のホテル・サン・フェルナンド・プラザに向かった。

「山の都市」と呼ばれるメデジンは海抜1500メートルの高さにあり、
気候は1年中春で、多くの花が咲き誇る都市である。

コロンビアは南米大陸の北西端に位置し、太平洋と大西洋に面しており、
南米の玄関口となっている。
パナマ、ベネズエラ、ブラジル、ペルー、エクアドルと国境を接し、
コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、ジャマイカ、ドミニカ共和国、
ハイチと領海を接している。

また、赤道直下に位置し貿易風が吹き湿度が高いため、住民が住む多くの地域は
海抜の高い所に位置し都市が形成された。

2005年の国勢調査によると、コロンビアの人口は42,090,502人で、その内60%が混血、
20%がヨーロッパ系、5%がアフリカ系と先住民の混血、1%が先住民となっており、
他民族国家ということで国民は知性にあふれ、勤勉、陽気、そしてフレンドリーであり、
豊かな文化を持ち、教育水準も高く識字率は92.8%を超えている。
人口の半数以上が29.4才以下であるコロンビアの一番の国力は人材で、コロンビアの労働力は
最も有能で競争力があり、人件費は先進国の10分の1となっている。

一方、コロンビアの音楽は大変バラエティーに富んでおり、アンデス地域ではギター、
トリプルギター、バンドーラのような弦楽器が主流で、南部に行くと笛や太鼓、
チリミーアという木管楽器が主体になり、カリプ海岸地帯ではバジェナート、クンビア、
ブジェレンゲといったジャンルが盛んで、こららの音楽と一緒にダンスも踊られている。

また、カルロス・ガルデルが逝去した都市としてタンゴも深く根付いている。



続く、