2008年3月15日土曜日

舞踊生活55周年を迎えて サロンタンゴが踊りの原点

アルゼンチンタンゴ・ダンスも歴史を積み重ねるにつれ、
サロンタンゴとステージタンゴの二通りの踊り方が定着いていった。
一つはミロンガ等で社交を目的にゆったりと優雅な踊り方、
もう一つは、サロンタンゴから発展した見せることを目的に踊られるステージタンゴである。

最近の日本におけるタンゴダンスは、サロン、ステージ両方に
アルゼンチンタンゴの本質を重視しない傾向があり、心を痛めるがことしばしばである。

ミロンガで良く見かける光景だが、ガンチョやサカーダ、ボレオ等をやたらに使ったり、
自分を見せようとして、混んでいる中を飛ばして踊っていたりする。
自分を見せるのはステージで行うことで、ミロンガでは、
他の人に迷惑をかけないことが最低限のマナーであり、
そこに居合わせた人々への配慮は最も重要であろう。

また、ステージタンゴでは、やたらにリフトを多用し、
飛び上がってばかりいる踊り方に問題があろう。
タンゴとは本来、地に足を着け、ホールドをして踊るものであった筈である。
1985年にタンゴダンスを世界に認めさせたショー「タンゴアルヘンティーノ」では、
リフトは殆ど使われていなかった。

日本人のタンゴが世界から認められるには、
タンゴの本質を今一度見極める必要性を痛切に感じる。
「タンゴアルヘンティーノ」を評した幾多の語録を紹介するので、
「タンゴとは」を熟慮する参考にして欲しい。
★エロチシズムの芳香が漂う120分のスペクタクル。

★タンゴは踊らずにはいられないほど悲しい感情である。

★切なく、激しく、血が騒ぐ。

★愛をささやき、悲しみを踊る。抱擁のドラマ。

★じんわりと、哀しさが、華やかに溶けていく。

★妖しさ、上等のエロティシズム。

★ああ、心が濡れる。魂が甦る。

★それは、踊りに名を借りた、男と女の愛だった。

★感動の拍手は、絶賛の言葉に変わった。

★激しい刺激に打たれた。

★タンゴへの愛が、夢をかなえた。

★魂への響きが、私を踊らす。

★哀愁の情景が、聴こえる。

2008年3月10日月曜日

舞踊生活55周年を迎えて  タンゴダンス世界に浸透

私がタンゴを踊り始めた1987年頃にはタンゴを踊る国は少なく、特にアジアでは皆無であった。
しかし、この10年ほどで世界中に爆発的な広がりを見るに至った。
2002年に、私が調査したところタンゴダンスは南米大陸からユーラシア大陸、
北米大陸、オセアニア大陸、アフリカ大陸へ達し、5大陸全て(62カ国)で踊られていた。

21世紀に入っても地球上には戦争が絶えることなく、
殺戮が日常茶飯事となっている現状下で、タンゴダンスが大流行している影には、
無意識の内に社会が平和なタンゴダンスを求めていたと思われる。
何故ならば、男女が向かい合って、ボディコンタクトをして踊るタンゴダンスは、
その一曲が人種、宗教、国籍を超越して、親愛と平和を実感させてくれるからだろう。
争いが無く、平和と安らぎを与えてくれる「コンタクト」こそが、
地球上に平和をもたらすものと確信している。
日本でも、約20年の歳月を経て、全国にタンゴダンスの浸透を見るに至った。
特に2002年、NHK趣味悠々で「今夜もあなたとタンゴを踊ろう」が9週間にわたり放送され、
また、2003年に15周年を迎えたタンゴダンスショー「タンゴリベルタ2003」と、
翌年の「タンゴリベルタ2004」公演が、NHK BSハイビジョンで1時間30分の番組として放送された。
2年続けてNHKがタンゴダンスの公演を放送したことは、タンゴダンスが、
漸く社会認知された証しにほかならないであろう。

今年は、タンゴを通して世界各国と交流することと、国内への更なる普及を目的に、
「第四回ワールド・タンゴ・フェスティバル」が開催される。
ここまでタンゴが世界的になった現状下では、以前のようにアルゼンチンだけに
目を向けるのではなく、視野を世界に広げ、今後の日本の進むべき道を考えることが大切であろう。
この点に関しては、次回に触れたいと思う。

続く

2008年3月6日木曜日

舞踊生活55周年を迎えて   タンゴダンス日本上陸

1987年にアルゼンチンに留学した当時の日本では、
アルゼンチンタンゴ・ダンスを踊る人は皆無であり、
タンゴに親しんでる人は全て音楽と歌のみに異常な程の執着心を持っており、
ダンスを排除する傾向にあった。
タンゴショー等も、演奏が主役でダンスは脇役であり、この傾向は日本だけではなく
アルゼンチンでも同様であった。
ダンスの伴奏として誕生したタンゴ音楽は、その後、作曲家、演奏者、歌手の努力で
ヨーロッパ上陸を果たし、タンゴの存在を認知させていった。
即ち、タンゴの普及には前者の功績が大であり、ダンスは微々たるものであった。
以上のような状況では、タンゴ音楽ファンのみの存在も納得である。

今でこそ笑い話として言えるが、公演後のアンケートに、
タンゴは演奏、歌、踊りの三位一体と記しながら、踊りのところを×印で消されていていたり、
また、踊り始めると目を閉じて音楽だけを聴いている観客もいた。

私のタンゴダンスは、このタンゴの歴史を背負いながらのスタートとなった。
悔しくても歴史には逆らえず、むしろ歴史を受けとめて、
如何にダンスを普及するかの模索の始まりでもあった。

また、当時はアルゼンチンタンゴ・ダンスは床が傷つくからとの理由で、
使用を断る会場も多くあった。フラメンコと間違えて(笑)

ダンスが主役のショーが最初に出現するのは、1986年にブロードウエーでロングランした
「タンゴ・アルヘンティーノ」であった。
このショーも、最初はヨーロッパで公演したが、あまり人気が出ず、
後にショーの本場アメリカで大成功を収めた。
その背景には当時のヨーロッパは、見るよりも自分が踊る方に興味があり、
一方アメリカでは、これと反対の傾向にあったようである。
しかし、「タンゴ・アルヘンティーノ」に出演しているダンサーが、
ニュヨークで頻繁に講習を行った結果、タンゴを踊る人口がアメリカで急激に増加していった。


   初期の頃の「タンゴリベルタ」舞台風景

時を同じくして、日本でダンスを主としたショーを目的に誕生したのが「タンゴリベルタ」であった。
「小林太平と江口祐子 アルゼンチンタンゴ舞踊団」を結成し、
「タンゴリベルタ」の旗揚げ公演を辛苦をなめ実現させるが、
ここから、継続させる困難を知ることとなった。

続く
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2008年3月5日水曜日

舞踊生活55周年を迎えて    継続の先には


踊り続けていれば誰でも迎える55周年であり、これはこれで記念すべきであろうが、
私にとって最も大きな関心事と重要なことは過去の55年より、
今後、何年踊り続けることが出来るかの未来の方である。

最初から男女での踊りを追求し、タンゴにその原点を見出してきたが、
未だに真髄に迫ることは出来ず、その探求は残された舞踊人生に課せられている。
幸い、タンゴダンスは他の分野のダンスよりもダンス寿命が長いことが救いである。

何事も、心技体が伴わなければ成し遂げることは出来ないが、
年齢を重ねると、一番厄介なことは肉体の衰えである。
精神力で身体を鍛え、身体がそれに応えてくれたのは過去のことで、
今は精神力で身体を鍛えれば筋肉や関節が悲鳴をあげ、病院行きである。
しかし、時には病院や鍼灸のお世話になりながらも、身体を鍛え続けなければ、
未来に何も見えてこないのである。

21年前に巡り会い、私の人生に生甲斐を与えてくれたタンゴを、
1年でも長く踊り続けたいとの情熱を持てる幸せを、大切にしていきたいと思っている。
未踏峰の山に挑戦する登山者のように。

続く